都市は自前の神を要る
神田明神は東京のまんなかにあり、祭神のひとりに平将門を置く。十世紀に東国で新皇を名乗り、八か国を二か月おさえ、九四〇年に討たれた男である。首は京で晒された。それが自分で東へ飛び帰ったという話になっている。落ちたとされる場所——今の大手町——には今も首塚がある。周りの地価は途方もなく、それでも誰もそこに建てない。
達磨は達磨大師である。壁に向かって九年坐り、脚が萎えた僧。高崎の少林山が配るのは、脚のない、瞳のない丸い赤である。願をかけるとき片目を入れ、叶ったときもう片目を入れる。つまり人形は一年のあいだ家の中で、片目のまま、こちらを見ている。
犬張子が産室に置かれるのは、犬が難なく産むからである。この地方の信心はその形をしている。実際的で、都市的で、取引である。欲しいものがあり、物を買い、こちらの分を果たす。










