十二単の重ねが幾重にも。そのどこにも縫い目がない。

一七三〇年代、京の賀茂神社の大工が、余った柳の木で小さな人形を彫り、溝を切り、そこに神社の錦の端切れを押し込んだ。縫わず、端も見えない。賀茂人形と呼ばれ、やがて江戸へ渡った。
胴は彫らない。桐の粉を糊で練った桐塑を型で抜く。桐塑は溝がきれいに切れ、切った溝が崩れない。そこへ布を、端から順に、へらで決め込んでゆく。決め込む——この動詞がそのまま技の名になった。人形の名ではなく、手つきの名である。


桐の粉と糊を練った桐塑で胴を型取る。木を彫るのではない。
布の端が消えるべき所に、細い溝を彫る。
へらで布を溝に決め込む。この一手が技であり、名前である。
最後に面相筆で顔を描く。毛数本の筆である。
手に取れば分かる。木目込の人形には縫い目も、糸目も、裾の折り返しも、どこにもない。着せたというより、着ているように見える。
顔は最後。毛が数本の面相筆で描く。出来の良し悪しは、結局そこで決まる。
この一対は三月三日に出し、数日で仕舞う。しまい遅れると娘の婚期が遅れるというのは迷信だが、三代もつ雛が残っているのはその迷信のおかげである。





村の仕事ではなく、町の仕事です。江戸張子は裏長屋でつくられ、大きなものを置く場所のない借家住まいの人が買いました。
品は日本で一点ずつ探し、出品する前に撮ります。お探しのものをお書きください。それに応えるものが入りましたら、お知らせします。
お知らせすることがある時だけお送りします。月に二度のこともあれば、何もない月もあります。
承りました。入り次第ご連絡します。