Maison Homura

Maison Homura

日本のうつわと彫りものの家。

はるか昔に干上がった湖の底の土。四百年、銅を注ぎつづけた町。一本の木から彫り出された姿。この季節につくられたものも、三十年だれかの家にあったものも。

日本のうつわと彫りものの museum です。
01

型に貼り重ね、乾ききってはじめて、自分の力で形を保つようになる。

達磨
達磨達磨群馬・高崎
博多張子
博多張子博多張子福岡・博多
赤べこ
赤べこ赤べこ福島・会津
犬張子
犬張子犬張子江戸——東京
02

決めるのは火か、手か。意見の合わない七つの窯。

九谷焼
九谷焼九谷焼石川県加賀
信楽焼
信楽焼信楽焼滋賀県甲賀市
備前焼
備前焼備前焼岡山県備前市伊部
有田焼
有田焼有田焼佐賀県有田町
益子焼
益子焼益子焼栃木県益子町
常滑焼
常滑焼常滑焼愛知県常滑市
萩焼
萩焼萩焼山口県萩市
土鈴
土鈴土鈴京都の社寺
03

一木、継ぎなし。木目を読みちがえれば、その日は終わり。

なまはげ面
なまはげ面なまはげ面秋田・男鹿
獅子頭
獅子頭獅子頭富山県南砺市井波
木彫り熊
木彫り熊木彫り熊北海道・八雲
加賀人形
加賀人形加賀人形石川県金沢市
こけし
こけしこけし宮城・鳴子
奈良一刀彫
一刀彫奈良一刀彫奈良
根付
根付根付京・大坂・江戸
欄間
欄間欄間富山県南砺市井波
寄木細工
寄木細工寄木細工神奈川県箱根・畑宿
04

四百年、ひとつの町で注ぎつづけ、金は剥げるために置かれる。

高岡銅器
銅器高岡銅器富山県高岡市
騎馬武者
騎馬武者騎馬武者富山県高岡市
兜飾り
兜飾り兜飾り東京・浅草橋
猪
富山県高岡市
七福神
七福神七福神富山県高岡市で鋳る
南部鉄器
南部鉄器南部鉄器岩手県盛岡市
05

織る前に染める。文様は糸のうちに決めておかねばならない。

博多織
博多織博多織福岡
久留米絣
久留米絣久留米絣福岡・久留米
木目込雛
木目込雛木目込雛東京
友禅
友禅友禅京都
こぎん刺し
こぎん刺しこぎん刺し青森・津軽
風呂敷
風呂敷風呂敷日本各地
この家の本業

探しものを承ります

お探しのものをお聞かせください。現物がある国に住んでいますので、こちらから見に行きます。

  1. ご希望を伺う何をお探しか、おおよその予算、期日があればその日。曖昧で構いません。「娘が生まれた年の干支の土鈴」——それだけで始められます。
  2. 探しに行く朝市、付き合いのある業者、市、そして家を片づけている家。その週に出てくることもあれば、何か月もかかることもあり、とうとう出てこないこともあります。
  3. ご判断いただく昼の光で撮った写真、寸法、欠けも含めて正直に書いた状態、そしてお手元に届くまでの総額。違うと思われたらそう仰ってください。それで終わりです。
探しものを承ります →

奥の間

既にお付き合いのある蒐集家のための、もうひとつの部屋。コードで入室。

奥の間 →

お探しのものがある方へ。

ありがとうございます。何か入りましたらご連絡します。
群馬・高崎
達磨

達磨

群馬・高崎 · 十七世紀に定まった姿

目のないまま届きます。仕上げるのは、あなたです。

達磨は目のない状態で売られます。両の目は白いまま空けてあり、達磨は待っています。

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福岡・博多
博多張子

博多張子

福岡・博多 · 江戸期からの町の仕事

この家から歩いて行ける、ただひとつの仕事。

これは地元のものです。博多は福岡の古いほうの商人町で、ここから歩いて十分ほど。いつからと数える人もいないほど昔から、型に紙を貼りつづけてきました。

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福島・会津
赤べこ

赤べこ

福島・会津 · 江戸期からの守り

黒い斑は疱瘡です。子の代わりに、この牛が背負う。

張子の赤い牛。首だけが糸で吊ってあり、触れるといつまでも揺れつづけます。

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江戸——東京
犬張子

犬張子

江戸——東京 · 江戸期からの産の祝い

犬の頭に笊。それは駄洒落で、そして願いです。

白い張子の子犬。子が生まれたときに贈られ、初宮参りに連れて行かれます。

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石川県加賀
九谷焼

九谷焼

石川県加賀 · 上絵付、五彩

偶然にゆだねたところは、ひとつもありません。髭の一本まで。

九谷は信楽と正反対の気質です。並べて置くのは、そのためです。

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滋賀県甲賀市
信楽焼

信楽焼

滋賀県甲賀市 · 六古窯のひとつ

色を決めるのは陶工ではありません。火です。

土は、はるか昔に干上がった湖の底から掘り出されます。粗く、長石を多く含み、焼くと粒がぷつぷつと白く肌を破って出てきます。

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岡山県備前市伊部
備前焼

備前焼

岡山県備前市伊部 · 六古窯のひとつ

釉薬は一滴も使いません。この色は、すべて火がつけたものです。

備前は、釉薬を使わない窯です。器は裸のまま火に入り、装われて出てきます。見えている色は、塗ったものでも掛けたものでもありません。焼きついたものです。

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佐賀県有田町
有田焼

有田焼

佐賀県有田町 · 日本磁器のはじまり——元和年間

日本に磁器はありませんでした。ひとりの朝鮮の陶工が、白い山を見つけるまでは。

十七世紀の初めまで、この国がつくっていたのは陶器でした。磁器——白く、薄く、光を透し、叩けば澄んだ音のするもの——は中国と朝鮮から来る高価な品です。文禄・慶長の役ののち九州へ渡った陶工、日本で李参平と呼ばれる人が、有田のはずれ泉山で磁石場を見つけました。そこから、この国の磁器がはじまります。

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栃木県益子町
益子焼

益子焼

栃木県益子町 · 嘉永六年から

江戸へ送る安物の台所道具でした。ひとりの陶工がコーンウォールから帰ってくるまでは。

益子は嘉永六年、誰にも褒められる予定のないものからはじまりました。水甕、すり鉢、土瓶。厚くて安く、川を下って江戸の台所に入る。七十年のあいだ、それだけの町でした。

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愛知県常滑市
常滑焼

常滑焼

愛知県常滑市 · 六古窯のうち最も大きい窯

内側に釉がありません。手抜きではなく、それが要です。

常滑は愛知の知多半島にあり、その土は鉄分が多く、焼けば何をつくっても赤くなります。六古窯のなかで最も古く、そして群を抜いて大きい。平安末期にはこの丘に三千基ともいわれる窯が散らばり、大甕を焼いては船で沿岸へ送り出していました。

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山口県萩市
萩焼

萩焼

山口県萩市 · 慶長年間、朝鮮の陶工から

買った時点では、まだ出来上がっていません。仕上げるのは、十年かけたあなたです。

茶をやる人なら誰でも知っている序列があります。一楽二萩三唐津。萩は四百年、その二番目にいます。理由は絵付にはありません——ほとんど描かれていないのですから。

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京都の社寺
土鈴

土鈴

京都の社寺 · おおむね平成——一九九〇年代

見るためのものではありません。振るためのものです。

土鈴は、素焼きの土でつくった鈴です。なかに土の玉がひとつ入っていて、手で形をつくり、手で彩色します。澄んだ音ではなく、乾いた、小さな、音楽的でない音がします。

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秋田・男鹿
なまはげ面

なまはげ面

秋田・男鹿 · 文化八年の記録から

鬼ではありません。年に一度、山から降りてきて家をあらためる神です。

大晦日の夜、秋田の男鹿半島では、若い衆がこの面をかぶり、藁のケデをまとって雪のなかを家々へまわります。足を踏み鳴らし、「泣ぐ子はいねがー」「怠け者はいねがー」と叫ぶので、家の子どもは本当に泣きます。

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富山県南砺市井波
獅子頭

獅子頭

富山県南砺市井波 · 獅子舞は七世紀の記録から

人の頭を噛みます。噛まれるほうが、良いのです。

正月に、祭に、獅子が二人を中に入れて通りを下ってきます。頭を持つ者と、幌の下で腰を折る者。そして人の前で止まり、頭を噛む。泣き叫ぶ子どもを、笑っている親が前へ押し出す。噛まれることが御利益です。獅子は厄を食べてくれる。頭が良くなるとも、頭痛が治るとも言われ、どちらも真顔で言われます。

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北海道・八雲
木彫り熊

木彫り熊

北海道・八雲 · 大正十三年から

北海道でいちばん知られた木彫は、スイスの土産物の写しから始まりました。

大正十三年、徳川義親がヨーロッパから木彫の熊を持ち帰りました。ベルンで買い求めたものです。八雲の農民たちにそれを見せ、冬の畑仕事のない長い季節に彫ってはどうかと勧めました。

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石川県金沢市
加賀人形

加賀人形

石川県金沢市 · 江戸期から

あの白は絵具ではない。貝を挽いて、十度も重ねた粉である。

金沢は前田家の城下町である。徳川に次ぐ大身であり、加賀百万石という言葉がいまも残る。それだけの米を背にした家は、職人に急ぐことを求めなかった。金箔、九谷、加賀友禅、そしてこの人形。

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宮城・鳴子
こけし

こけし

宮城・鳴子 · 江戸後期から

首を回すと鳴きます。その鳴き声で、どこの系統かがわかる。

こけしは、椀や盆を挽いていた木地師が轆轤で挽きます。東北の湯治場に来た人へ売りはじめ、やがて湯の町の土産になりました。

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奈良
一刀彫

奈良一刀彫

奈良 · 中世の祭礼人形から

鑿のあとは削り落としません。あれが仕上げです。

一刀彫とは、一本の刃で彫るということです。大胆な平面で削ぎ落とし、刃の残した面をそのまま残す。丸めず、磨かず、つくった痕跡を隠そうとしません。

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京・大坂・江戸
根付

根付

京・大坂・江戸 · 江戸期——十七〜十九世紀

着物には、ポケットがありません。この道具がある理由は、それだけです。

着物にはポケットがありません。煙草入れ、巾着、薬を納めた印籠——持ち歩くものはみな紐を帯の内側から上へ通し、帯の上に留めて抜け落ちを止めるのが根付です。提げるものではなく、留めるもの。彫りは帯の上、人の目の高さに座り、提物はその下に下がります。

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富山県南砺市井波
欄間

欄間

富山県南砺市井波 · 井波の彫刻——明和年間から

二つの部屋が分け合うものだから、両側から彫ります。

欄間は、襖の上、鴨居と天井のあいだに入る透かしの板です。閉てきってしまえば行き来のなくなる二つの部屋のあいだに、光と風だけを通すために、そこにあります。

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神奈川県箱根・畑宿
寄木細工

寄木細工

神奈川県箱根・畑宿 · 天保年間から

色を染めたところは一つもありません。色の数だけ、木の種類があります。

この部屋で唯一、彫らないものです。組む。木を細く挽き、四角に削り、木口を合わせて貼り重ね、文様が板の表面ではなく 素地そのものに、端から端まで通るまで積み上げていく。

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富山県高岡市
銅器

高岡銅器

富山県高岡市 · 慶長十四年から

金は宝冠と指の節から薄れます。手が触れるのは、そこだから。

慶長十四年、加賀二代藩主が、新しい城下町に何かをつくらせようと考えました。七人の鋳物師を高岡に呼び、住む土地を与えます。四百年たったいまも、この町は湯を注ぎつづけている。この百年の日本の美術銅器のほとんどが、その工房から出ました。

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富山県高岡市
騎馬武者

騎馬武者

富山県高岡市 · 五月の飾り

五月に男の子のために買われ、残りの十一か月は箱の中にいる。

大鎧をまとった武者が、立ち上がる馬に乗っている。仏像と同じ高岡の工房で鋳られ、兜の前立、威の糸、鐙に金が置かれています。

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東京・浅草橋
兜飾り

兜飾り

東京・浅草橋 · 端午の節句、江戸期から

中に頭のない兜を、一年に一月だけ出す。

五月五日、男の子のいる家は鎧を飾ります。多くの家に一式を置く場所はないので、兜だけを黒漆の台に据え、月が終われば仕舞う。

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富山県高岡市

富山県高岡市 · その年のためだけに、十二年に一度

中国の十二支、十二番目は豚。日本の十二支、十二番目はこれです。

十二の動物は中国から渡ってきて、そのうち十一までは姿を変えずに海を越えました。十二番目だけが違います。中国が家畜の豚とするところを、日本は猪のまま残した。痩せて、牙があり、いったん決めたら曲がれないことで知られる獣です。

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富山県高岡市で鋳る
七福神

七福神

富山県高岡市で鋳る · 室町期に七柱と定まる

一艘の舟に七柱。そのうち日本の神は、一柱だけです。

恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋。年の替わる夜、舟に乗って揃ってやって来ます。

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恵比寿
恵比寿
大黒天
大黒天
毘沙門天
毘沙門天
弁財天
弁財天
福禄寿
福禄寿
寿老人
寿老人
布袋
布袋
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岩手県盛岡市
南部鉄器

南部鉄器

岩手県盛岡市 · 万治二年からの藩の仕事

銅ではなく鉄です。そして沸かした湯は、もとの湯とは別のものになります。

この部屋のほかのものは高岡で注いだ銅です。これは鉄で、しかも国の反対の端から来ています。盛岡。万治二年、南部の殿様が京から釜師を呼び寄せ、そのまま住まわせました。

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福岡
博多織

博多織

福岡 · 一二四一年以来この地で

緩まない帯。評判はその一点に尽きる。

一二三五年、博多の商人・満田弥三右衛門が僧・円爾とともに宋へ渡った。六年後に織りの技を持ち帰り、その家は以後二百年をかけて、ひたすら密に織る方へ進んだ。

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福岡・久留米
久留米絣

久留米絣

福岡・久留米 · 一八〇〇年頃から

着古した布を見ていた十二の娘が、考えついた。

一八〇〇年頃、久留米の井上伝という娘が古い藍の着物をほどき、擦り切れた所で糸が白く飛んでいるのに気づいた。そこから逆に考えた——織る前の糸に、あの白を意図して入れておけば、織り上がったときに文様が現れるはずだ。

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東京
木目込雛

木目込雛

東京 · 一七三〇年代から

十二単の重ねが幾重にも。そのどこにも縫い目がない。

一七三〇年代、京の賀茂神社の大工が、余った柳の木で小さな人形を彫り、溝を切り、そこに神社の錦の端切れを押し込んだ。縫わず、端も見えない。賀茂人形と呼ばれ、やがて江戸へ渡った。

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京都
友禅

友禅

京都 · 十七世紀末から

扇絵師が、色と色の混じるのを止める方法を見つけた。絹が画布になった。

十七世紀の末まで、絹は染められても描けなかった。濡れた色は繊維を伝って広がり、境目はすべて濁る。それを解いたのが京の扇絵師・宮崎友禅斎で、答えは米の糊だった。

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青森・津軽
こぎん刺し

こぎん刺し

青森・津軽 · 江戸期、必要から生まれた

木綿を着ることを禁じられた。だから木綿を麻に刺した。

江戸期の津軽では、農民が木綿を着ることを藩が禁じていた。許されたのは麻である。北国の麻は目が粗く、寒い。ただし木綿の「布」と木綿の「糸」は別ものであり、糸なら手に入った。

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日本各地
風呂敷

風呂敷

日本各地 · 室町期に名が定まる

風呂で敷いた布。その上で脱ぎ、脱いだものを包んだ。

室町の風呂屋では、床に布を敷き、その上で衣を脱ぎ、湯に入るあいだ結んでまとめておいた。風呂に敷く。習慣のほうは五百年前に消え、名だけが残った。

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