冬に訪れる神
大晦日の夜、藁蓑をまとい赤い鬼面をつけた男たちが男鹿の山から下りて、家々を回る。土間に踏み込んで怒鳴る——泣く子はいねがー、怠け者はいねがー。子は泣き、親は代わりに詫びて酒を出し、来訪者は去ってゆく。なまはげは鬼ではない。年に一度よそから訪れ、その家を検分して祝福していく来訪神である。面は脅し、訪れは祝う。その二つが同時に起きている。
さらに北、青森の恐山。硫黄の黄と裸の岩でできた火口原は、千年のあいだあの世の入口とされてきた。七月には今も人が登り、イタコを介して死者と言葉を交わす。目の見えぬ女たちが、死者に声を貸す。そこに伽藍の壮麗さはない。荒涼として硫黄が匂う。それでも人は行く。
北海道の神はまた別だった。アイヌにとってカムイは、役に立つもの、危ういもののすべてに宿る。熊、村を守るシマフクロウ、火、川。二年のあいだ村で育てられた小熊は、イヨマンテによって土産を負わされ神の国へ送り返される。育ててくれた人間のことを、向こうでよく言ってくれるはずだった。









