Maison Homura
地方から

北の国

北海道・東北 · Hokkaidō · Tōhoku
北海道と東北六県

冬が長い。十一月から四月まで、家の中でできる手仕事が育った。

北の国
この家のために描いたもの。土地とその仕事であって、ある一つの場所の記録ではない。
この地方のこと

雪が暦を決める土地である。晩秋に畑が閉じると仕事は屋内へ移る。ここに並ぶ品はほとんどが、囲炉裏端で農家が作れるものだ。木を挽く、型に紙を貼る、藁を編む、布を刺す。

だから食器より、玩具と守りものが多い。農閑期に作り、正月の市で売り、子どもに贈られた。

東北は長く独自の言葉と窯と神を保った。京から遠く、宮廷の趣味が届ききらなかった。代わりに色が強く、彫りが太く、赤が多い。赤は病を退ける色である。

長い話

冬に訪れる神

大晦日の夜、藁蓑をまとい赤い鬼面をつけた男たちが男鹿の山から下りて、家々を回る。土間に踏み込んで怒鳴る——泣く子はいねがー、怠け者はいねがー。子は泣き、親は代わりに詫びて酒を出し、来訪者は去ってゆく。なまはげは鬼ではない。年に一度よそから訪れ、その家を検分して祝福していく来訪神である。面は脅し、訪れは祝う。その二つが同時に起きている。

さらに北、青森の恐山。硫黄の黄と裸の岩でできた火口原は、千年のあいだあの世の入口とされてきた。七月には今も人が登り、イタコを介して死者と言葉を交わす。目の見えぬ女たちが、死者に声を貸す。そこに伽藍の壮麗さはない。荒涼として硫黄が匂う。それでも人は行く。

北海道の神はまた別だった。アイヌにとってカムイは、役に立つもの、危ういもののすべてに宿る。熊、村を守るシマフクロウ、火、川。二年のあいだ村で育てられた小熊は、イヨマンテによって土産を負わされ神の国へ送り返される。育ててくれた人間のことを、向こうでよく言ってくれるはずだった。

北は外国だった

一千年紀のあいだ、朝廷はここを支配していない。ここの人々は蝦夷と呼ばれ、そして戦った。七八九年、五万を超える官軍が北上川で阿弖流為の軍に破られる。阿弖流為が山を下りて降るまでに、さらに十三年と坂上田村麻呂という将軍を要した。彼は都へ送られ、そこで処刑された。

そののち束の間、北は豊かだった。十二世紀、奥州藤原氏は平泉に拠り、この地の金で金色堂を建てた。内も外も金箔と螺鈿で覆われたその堂は、今も建っている。都市そのものは一一八九年に源頼朝が滅ぼした。一世紀のち、この地に近づいたこともないマルコ・ポーロが、日本は屋根まで黄金の国だと書く。その話がここから出たのかどうかは、以来ずっと人が当ててきた推測であり、今も推測のままである。

北が最後に敗れたのは一八六八年である。奥羽越の諸藩は新政府に抗して同盟し、一つずつ潰された。会津では、城の上に立つ煙を見た少年の一隊が落城と思い込み、飯盛山で自刃した。城はまだ落ちていなかった。この家にある赤べこは、その会津のものである。

外に出られない月のための仕事

十一月から四月まで、田畑は閉じる。この一事がこの地方の手仕事のすべてを決めた。ここにあるものはみな、農家が家の中で、囲炉裏のそばで、すでに家にあるもので作れる仕事である。

鳴子では湯治場に仕える木地師が、客の子のために轆轤で細い人形を挽いた。産地ごとに頭の形と縞を決めたので、今でも鳴子と津軽は部屋の向こうからでも見分けがつく。津軽では藩が百姓に木綿を禁じ、麻は熱を持たない。だから女たちは藍の麻地に白い木綿糸を数えながら刺し、野良着の背が幾何学になった。盛岡では南部の殿様が砂鉄と炭と川の粘土を一つの谷に持っていた。鉄瓶はそこから出てくる。

そして赤べこ。疱瘡はここでも子を奪い、疱瘡神は赤を嫌うとされたので、首の揺れる赤い張子の牛が病む子の枕元に置かれた。形は伝説から来ている。八〇七年、柳津の寺の用材を曳いた赤土色の牛が、堂が建ち上がると立ち去らずに石になったという。

この地方の所蔵品 · 6点
赤べこ
赤べこ

赤べこ

福島・会津 · 江戸期からの守り

黒い斑は疱瘡です。子の代わりに、この牛が背負う。

この一点について
なまはげ面
なまはげ面

なまはげ面

秋田・男鹿 · 文化八年の記録から

鬼ではありません。年に一度、山から降りてきて家をあらためる神です。

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木彫り熊
木彫り熊

木彫り熊

北海道・八雲 · 大正十三年から

北海道でいちばん知られた木彫は、スイスの土産物の写しから始まりました。

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こけし
こけし

こけし

宮城・鳴子 · 江戸後期から

首を回すと鳴きます。その鳴き声で、どこの系統かがわかる。

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南部鉄器
南部鉄器

南部鉄器

岩手県盛岡市 · 万治二年からの藩の仕事

銅ではなく鉄です。そして沸かした湯は、もとの湯とは別のものになります。

この一点について
こぎん刺し
こぎん刺し

こぎん刺し

青森・津軽 · 江戸期、必要から生まれた

木綿を着ることを禁じられた。だから木綿を麻に刺した。

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この地方の産地
会津会津赤べこ男鹿男鹿なまはげ面八雲八雲木彫熊鳴子鳴子こけし盛岡盛岡鋳鉄津軽津軽こぎん刺し

それぞれ「作り手」の頁に一項ずつある。

この地方が知られていること
手仕事
こけし、会津張子、南部鉄器、津軽こぎん刺し
米と酒。会津の味噌、大間のまぐろ
行くなら
桜の弘前城、会津若松、正月の男鹿半島
妙な話
弘前の桜はりんごの剪定法で仕立てる。育てたのがりんご農家だったからで、それゆえ花が密につく