焔Maison Homura
0935
二 · 陶 — 栃木県益子町

益子焼

江戸へ送る安物の台所道具でした。ひとりの陶工がコーンウォールから帰ってくるまでは。

このような品をお探しですか ↓
益子焼 — 栃木県益子町
栃木県益子町 · 嘉永六年から

益子は嘉永六年、誰にも褒められる予定のないものからはじまりました。水甕、すり鉢、土瓶。厚くて安く、川を下って江戸の台所に入る。七十年のあいだ、それだけの町でした。

大正十三年、濱田庄司がここに居を構えます。バーナード・リーチとコーンウォールのセント・アイヴスで登り窯を築いて帰ってきたばかりでした。益子を選んだのは、名声がなかったからです。粗い土、荒い釉が四種類、そして一度も「芸術的」と呼ばれたことのない町。

益子焼 — 左
左から
お求めの方へ

このような品をお探しですか

こうした品は、入っては出ていきます。見つけた品の多くは、ネットには出しません。

Etsyのレビュー ★5.0・スターセラー ↗
お求めの流れ
  1. お尋ねください。福岡の人間が、たいてい一両日中にお返事します。
  2. お話がまとまりましたら、カードでお支払いいただける専用のお支払いリンクをお送りします。
  3. 日本からお送りします。

同じような品を探す

ご予算とご用途を選ぶだけで結構です。見つかった品の写真と状態、お値段をお送りします。

ご予算
ご用途
益子焼の仕事場
作り手の仕事場
作りの順
  1. 土Tsuchi

    鉄分と砂を多く含む地元の土。薄くも繊細にもならない。

  2. 成形Seikei

    日々使う器を、数をつくる。

  3. 釉薬Yūyaku

    柿釉、糠白釉、飴釉。手近な材料から作る釉ばかりである。

  4. 焼成Shōsei

    一度焼いて、それきり。民藝の目はそれ以上を求めない。

柳宗悦、河井寛次郎とともに、彼はその考えに名を与えました。民藝——芸術をつくろうとしていない人が、使うためにつくったものの美しさ。益子はその住所になります。濱田は昭和三十年に人間国宝となり、作品に銘を入れませんでした。銘を入れれば、それは器ではなく名前になる、と。

釉は土地のもので、数も多くありません。柿——鉄の柿渋色。飴。糠——籾殻の灰からとる不透明な白。そして青黒。土は砂気が強く鉄を含み、薄くは挽けません。益子の器が手にずしりとくるのはそのためで、濡れた手で掴むためにつくられたもの、という感じがします。

平成二十三年三月の地震で、町の窯はほとんど倒れました。築き直され、年二回の陶器市はいまも通りを埋めます。

益子焼 — 右
右から
ひと回りして見る
益子焼 — 正面益子焼 — 左益子焼 — 背面益子焼 — 右
覚え書き
はじまり
嘉永六年——江戸向けの台所道具
転機
大正十三年、濱田庄司が移り住む
釉
柿・飴・糠——鉄、飴色、籾殻灰
土
土地の砂気の強い鉄分の土、薄く挽けない
産地について

東京から北へ二時間。最初の七十年、商いの中身はそれだけでした。土地の粗い土、四種類の釉、そして安くて役に立つ器を都へ送る。見に来る人はいませんでした。

Your bag