Maison Homura
地方から

古い都

関西 · Kansai
京都・奈良・大阪・滋賀とその周り

千年の宮廷の目と、それに応え続けた工房。

古い都
この家のために描いたもの。土地とその仕事であって、ある一つの場所の記録ではない。
この地方のこと

都は奈良にあり、そののち千年京都にあった。宮廷のあるところに口の肥えた客がいる。そこで育つ手仕事は、じっくり見る時間のある人に判定される仕事である。

その結果、気質が定まった。抑えること。技を見せずに隠すこと。友禅は難しいところを見えない場所に置く。根付は、握った手のなかの当たり具合で決まる。

滋賀だけは例外であり、重しでもある。信楽は地元の荒い土を、灰が降って偶然釉になるほど高い温度で焼く。隣に六百年宮廷がありながら、信楽は一度も上品にしようとしなかった。

長い話

狐と鹿と、小さな土鈴

京には鳥居に覆われた山がある。伏見の稲荷山を、寄進者の名と年号を刻んだ朱の鳥居が千本、隧道のように登ってゆく。神は稲荷、稲を司り、ゆえに育つものすべて——利益も含めて——を司る。使いは狐で、曲がり角ごとに石の狐が座り、その多くが口に鍵をくわえている。蔵の鍵である。

奈良の鹿は観光の偶然ではない。春日の社は東の鹿島から神を迎えて創まり、その神は白い鹿に乗って来たとされる。公園の鹿はその供の末とされ、一六三七年まで一頭殺せば死罪だった。

この家にある土鈴は、社の門前で売られていたものである。社ごとに形が違う。稲荷なら狐、春日なら鹿、猿を使いとする社なら猿。数文で買って家に吊るせば、一年ぶんの参詣の代わりを務めた。

千年、客がひとり

朝廷は七一〇年から奈良に、七九四年から京にあり、一八六九年まで動かなかった。一人の、動かない、際限なく注文の細かい客が千年いた土地は、日本のほかにない。物を見ればそれが出ている。

朝廷は官営の工房を持っていた。朝廷の金が尽きたとき——そして幾度も尽きた——職人は仕事をやめず、町へ出て、払える者に売った。京の職種があれほど細かく分かれているのはそのためである。筆の軸だけを作る工房、ある一色の藍だけを染める工房で、暮らしが立つ。

一四六七年、都は自分で自分を焼いた。応仁の乱は十年市街で戦われ、京のほとんどが灰になる。職人は諸国へ散り、技を持って出た。堺へ、博多へ、金沢へ。この館にある地方の手仕事のうち驚くほど多くが、慌てて京を出た誰かに遡る。

布に絵を描く

十七世紀の終わり、京の扇絵師・宮崎友禅斎が、絹の上で引いた線の内側に染料を留める法を編み出した。米で練った細い糊を筒から輪郭に沿って絞り出す。糊は染料をはじき、あとで洗い流せる。これで着物は文様ではなく絵を着られるようになり、日本の女が何を着られるかが変わった。

仕上げた布はかつて鴨川で濯いだ。反物をそのまま流れに置き、糊と余った染料を下流へ送る。川がそこまで清くなくなった一九七〇年代に、水元は屋内へ移った。

奈良は逆へ、少ないほうへ行った。一刀彫は一本の刃で数えるほどの決断を入れ、面をそのまま残し、わずかに彩色する。春日の祭りのために作られたもので、この技法そのものが、彫れたはずの百手を彫らなかったということである。

この地方の所蔵品 · 5点
信楽焼
信楽焼

信楽焼

滋賀県甲賀市 · 六古窯のひとつ

色を決めるのは陶工ではありません。火です。

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土鈴
土鈴

土鈴

京都の社寺 · おおむね平成——一九九〇年代

見るためのものではありません。振るためのものです。

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奈良一刀彫
一刀彫

奈良一刀彫

奈良 · 中世の祭礼人形から

鑿のあとは削り落としません。あれが仕上げです。

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根付
根付

根付

京・大坂・江戸 · 江戸期——十七〜十九世紀

着物には、ポケットがありません。この道具がある理由は、それだけです。

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友禅
友禅

友禅

京都 · 十七世紀末から

扇絵師が、色と色の混じるのを止める方法を見つけた。絹が画布になった。

この一点について

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この地方の産地
信楽信楽炻器京都京都土鈴と根付奈良奈良一刀彫

それぞれ「作り手」の頁に一項ずつある。

この地方が知られていること
手仕事
京友禅、京の土鈴、奈良一刀彫、信楽焼、根付
懐石、京漬物、大阪の粉もん、近江牛
行くなら
団体客の前の早朝の奈良、信楽の窯の町、伏見
妙な話
信楽の狸は徳利と通い帳を持つ。飲んだくれの借金取りの洒落である