色を決めるのは陶工ではありません。火です。

土は、はるか昔に干上がった湖の底から掘り出されます。粗く、長石を多く含み、焼くと粒がぷつぷつと白く肌を破って出てきます。
信楽に釉薬はいりません。窯のなかで松の灰が舞い上がり、うつわの肩に落ちて、そこでガラスに変わります。炎が土そのものをなめたところは、緋色になります。


長石の粒を含む地元の土。焼くと白く弾け出る。
長い焼成に耐えるよう厚めに作る。
穴窯で幾日も焚く。肩に積もった灰が緑のビードロに変わる。
炎の当たったところが緋色に上がる。人が決められる色ではない。
ですから陶工は形をつくり、窯に火を入れ、三日待って、何ができたのかをはじめて知ります。二度と同じものにはならず、六百年前にそのことと折り合いをつけています。
狸はこの村のもうひとつの名産です。昭和二十六年、昭和天皇がお訪ねになり、村人たちは自分たちのつくった狸を道に並べてお迎えし、天皇はその情景を歌に詠まれました。その年から、信楽の狸を知らない者はいなくなりました。
笠をかぶり、徳利をさげ、化けるのが上手で、陽気で、賢く、争いごとには興味がない。字を変えて「他抜き」と書けば、他を抜くという意味になります。店先に立っている理由はそれです。
この村について、もうひとつ。戦後ここに信楽青年寮ができました。十五歳からの知的障害のある若者たちに焼きものを教える場所です。はじめから歓迎されたわけではなく、石野大助という村の人が、彼らも大人であり、違いはわずかであり、ここには彼らがうまくやれる仕事がある、と説きました。若者たちは轆轤を挽き窯を焚くことを覚え、その仕事は収入になりました。この家のどれかが彼らの手から出たものだ、とは申しません。仕入れは個人の蔵からで、そこまで来歴はたどれません。申し上げられるのは、これがその村であるということです。





日本六古窯のひとつ。理由は土にあります。信楽は数百万年前に干上がった湖の底に位置し、町の下の土は粗く、長石を多く含み、きめの細かい土なら崩れる温度に耐えます。
品は日本で一点ずつ探し、出品する前に撮ります。お探しのものをお書きください。それに応えるものが入りましたら、お知らせします。
お知らせすることがある時だけお送りします。月に二度のこともあれば、何もない月もあります。
承りました。入り次第ご連絡します。